新しい仮説が問いかけるもの
引越し後の原因不明の体調不良——それが化学物質過敏症(MCS: Multiple Chemical Sensitivity)であることは、ようやく認識されつつあります。しかし、最近注目されている「PATM(People Allergic To Me)」という現象は、さらに興味深い問いを投げかけています。
化学物質過敏症は「外から入ってくるVOC(揮発性有機化合物)に過敏に反応する」状態です。一方、PATMは「自分の体からVOCが放出され、周囲の人にアレルギー様症状を引き起こす」という現象です。一見正反対に見えるこの二つの病態が、実は同じ根っこ——体の解毒機能の低下——から生じているのではないか。この仮説について、現時点で何が言えて、何が言えないのか、文献的視点から整理してみましょう。
科学的に「言えること」
1. PATMの皮膚ガス異常は実証されている
2023年、東海大学の関根嘉香教授らの研究グループが、世界で初めてPATM患者の皮膚ガス組成を科学的に解明しました。この研究では、PATM患者20名と健常者24名の皮膚から放出される75種類の揮発性化合物を測定し、驚くべき結果が得られました。
PATM患者で有意に高かった物質:
- 2-エチル-1-ヘキサノール:約12倍
- トルエン:約39倍
- キシレン:約4倍
- 硫黄化合物(メチルメルカプタン、エチルメルカプタン、アリルメチルサルファイド)
これらの物質は、まさに化学物質過敏症を引き起こすことが知られている石油化学系のVOCです。つまり、PATM患者は、化学物質過敏症の原因物質を自らの皮膚から放出しているという事実が、客観的データとして確認されたのです。
2. 化学物質過敏症と解毒機能の関連
化学物質過敏症の発症メカニズムとして、解毒能力の個人差が関与することは、複数の研究で示唆されています。
体内に入った化学物質は、主に肝臓で二段階の解毒プロセスを経て処理されます:
Phase I(第1相): シトクロムP450酵素群による酸化反応
- 脂溶性の毒素を水溶性に変換する「前処理」
- この段階で活性酸素が発生し、一時的に毒性が高まることも
Phase II(第2相): 抱合反応
- グルタチオン抱合、硫酸抱合、メチル化など
- 最終的に尿や胆汁として排泄可能な形に変換
シトクロムP450酵素には遺伝子多型があり、個人によって酵素活性に1〜30%の差があることが知られています。また、グルタチオンの生成能力にも個人差が存在します。これらの個人差が、化学物質過敏症の感受性を決定している可能性が高いのです。
3. 解毒できない物質は「どこかから出る」
通常、体内に吸収された化学物質は肝臓で代謝され、腎臓から尿として排泄されます。しかし、解毒機能が低下している場合、この経路がうまく機能しません。
興味深いことに、Nature誌に掲載された研究では、PATM患者でトルエンの皮膚からの放出が増加する一方で、トルエンの代謝産物であるベンズアルデヒドの放出は有意に低下していることが示されています。トルエン/ベンズアルデヒド比は、PATM患者で58、健常者で0.076という大きな差がありました。
これは何を意味するのでしょうか?トルエンを代謝する能力が低下しているため、未代謝のまま皮膚から放出されているという解釈が成り立ちます。
4. 皮膚からのVOC排出経路は存在する
人間の皮膚ガスには、以下の3つの発生経路があることが確認されています:
- 血液由来経路:血中の揮発性物質が皮膚を透過して直接放散
- 皮膚腺由来経路:汗や皮脂と共に排出
- 表面反応由来経路:皮膚表面の細菌や化学反応により生成
このうち、血液由来経路は、喫煙者がタバコを吸った後に皮膚からニコチンやトルエンを放出する現象として確認されています。つまり、体内に蓄積した脂溶性化学物質が、正常な代謝・排泄経路を経ずに皮膚から「漏れ出す」メカニズムは生理学的に存在するのです。

科学的に「まだ言えないこと」
1. 因果関係の証明
現時点では、「解毒機能の低下がPATMの原因である」という因果関係は証明されていません。相関関係は示されていますが、以下の可能性も排除できません:
- 逆の因果関係:PATM症状によるストレスが解毒機能を低下させている
- 第三の要因:別の未知の要因が両方を引き起こしている
- 偶然の相関:関連性が見かけ上のものである
2. なぜ皮膚なのか?
解毒能力が低下した場合、なぜ腎臓や腸からの排泄ではなく、皮膚からの放出が増えるのか?このメカニズムは十分に解明されていません。
一つの仮説として、脂溶性化学物質は脂肪組織や細胞膜に蓄積しやすく、皮膚の皮脂と共に排出されやすい性質があることが考えられます。しかし、これは推測の域を出ません。
3. すべてのPATM患者に当てはまるのか?
関根教授の研究では、PATM患者でトルエンなどのVOC排出が「平均的に」高いことが示されましたが、個々の患者を見ると大きなばらつきがあります。つまり、PATMは単一の原因による単一の疾患ではなく、複数のメカニズムが存在する可能性があります。
実際、一部のPATM患者では心理的要因(身体表現性障害)の関与も指摘されており、すべてのケースを生化学的メカニズムだけで説明することはできません。
4. 化学物質過敏症患者が全員PATMになるわけではない
化学物質過敏症患者の多くは、自分がPATM症状を持っているとは訴えません。もし解毒機能の低下が共通の原因であれば、なぜこのような違いが生じるのでしょうか?
可能性としては:
- 解毒機能低下の「程度」や「パターン」の違い
- 暴露された化学物質の種類や量の違い
- 腸内環境や皮膚常在菌叢の違い
- 遺伝的背景の違い
などが考えられますが、明確な答えはまだありません。
臨床的な意義:仮説から実践へ
科学的証明を待つ間も、臨床現場では患者さんの苦しみに向き合う必要があります。「解毒機能低下」という仮説は、以下のような実践的アプローチの根拠となります:
検査の選択肢
- 皮膚ガステスト(VOC測定)
- 有機酸検査(代謝機能の評価)
- グルタチオンレベル測定
- シトクロムP450遺伝子多型検査
治療的介入の可能性
- グルタチオン補充(点滴または経口)
- Phase II酵素のサポート(グリシン、タウリン、NAC)
- 環境中のVOC暴露の最小化
- 腸内環境の改善(デトックス経路の一つとして)
- 肝機能サポート(ビタミンB群、ミネラル)
これらのアプローチは、「解毒機能の改善」という共通の目標に向けたものです。完全な科学的証明がなくとも、生理学的に合理性があり、副作用が少なく、実際に症状改善を経験する患者さんがいるのであれば、試みる価値はあるでしょう。
まとめ:「知らないこと」を知る勇気
化学物質過敏症とPATMが「解毒機能の低下」という共通基盤を持つという仮説は、現時点で以下のように評価できます:
支持するエビデンス:
- PATM患者で石油系VOCの皮膚放出が実証されている
- トルエン代謝能の低下を示唆するデータがある
- 解毒機能の個人差は確立された事実である
- 皮膚からのVOC排出経路は生理学的に存在する
未解明の部分:
- 因果関係の証明
- 皮膚排出が選択される理由
- すべての患者に当てはまるかどうか
- 化学物質過敏症とPATMの分かれ目
医学において、「わからないこと」を認めることは弱さではありません。むしろ、既存の枠組みだけでは説明できない患者さんの症状に真摯に向き合い、新しい仮説を立て、検証していく——それこそが、機能性医学のアプローチなのです。
化学物質過敏症もPATMも、かつては「気のせい」「心因性」と片付けられてきました。しかし今、皮膚ガス測定という客観的手法により、「見えない苦しみ」が可視化されつつあります。
解毒機能という視点は、これらの謎を解く鍵の一つかもしれません。まだすべての答えは出ていませんが、問いを立て続けること——それが、明日の医療を作る第一歩なのです。
参考文献:
- Sekine Y, et al. (2023). “Human skin gas profile of individuals with the people allergic to me phenomenon.” Scientific Reports, 13.
- Winder C. (2002). “Mechanisms of multiple chemical sensitivity.” Toxicology Letters.
- Pall ML. (2009). “Multiple chemical sensitivity: toxicological questions and mechanisms.”
- Miller CS. (1996). “Chemical sensitivity: symptom, syndrome or mechanism for disease?” Toxicology.
このコラムは、化学物質過敏症とPATMの関連性について、現在のエビデンスレベルを正確に伝えることを目指しました。「言えること」と「言えないこと」を明確に区別しながらも、臨床的な実践の指針を提供する形となっています。
修正や追加のご希望がございましたら、お知らせください。
執筆者プロフィール

医療法人全人会理事長、総合内科専門医、医学博士。京都大学医学部卒業。天理よろづ相談所病院、京都大学附属病院消化器内科勤務を経て、2013年大阪市北区中津にて小西統合医療内科を開院。2018年9月より医療法人全人会を設立。


